宮大工棟梁 小川三夫
法隆寺棟梁 西岡常一(つねかず)さんの弟子で、小川三夫(おがわ みつお)さんとの話では、西岡常一さんの倅さんの話が出て、なぜ親父の仕事に付かなかったかを、聞きました・・・・・やはり 貧乏で大変な時代を経験してしまい、2人ともサラリーマンになり、一人な 優秀なエンジニアとして名を残し大きな仕事をしていたそうです。もう一人は 阪急の重役まで登りつめたとのこと・・・・・やはり 2人の倅それぞれが、それぞれの才能を持っていたんだな・・・・・て、小川さんは話してくれました。
西岡棟梁の弟 楢次郎さんの事も聞きました。 持っていた道具の素晴らしかったこと・・・・・・この意味は カンナの研ぎの素晴らしいこと、のこぎりの歯の浅利の素晴らしいこと・・・・・・・兄貴の前より出ないで、生涯を寡黙な宮大工として終えたこと 直に接した小川さんならではの話の内容でした。また 小川さん自身 寺社仏閣をすでに100件以上こなしてきたことは、西岡常一さんの棟梁のやり方の裏がえしでとも考えられますね。 若手の大工を育成し、本人は60歳で鵤工舎を若手に譲り、自分のやりたい分野に移ったのは見事ではないでしょうか。 宴会では、鵤工舎の若手大工、女性大工(これが物凄く酒飲み、こちらは吹っ飛ばされるほど)も含め・・・・・・・・いいなあ・・・・若い事は!